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私は今、ちょっと拗ねている。自分で宣言するのもへんだけど、兎に角、もやもやした気分が治らない。理由は簡単だ、さっきから鈴の背中しか見てないから。ちょっとくらい、こっちを振り向いてくれてもいいじゃない?とか、呪いの言葉を念じているんだけど。

カタカタカタと、軽快に鳴っては止まって、またゆっくりとカタカタカタ…。鈴のノートパソコンのキーボードの音だ。締め切りが近いのに原稿が出来上がらない、そう言って疲れた顔で仕事を持って帰ってきたのが3日前。
今夜も、鈴は会社から帰ると、ご飯とお風呂以外はずっとカタカタカタとキーボードを叩いていた。私はこっそりいじけて先にベッドに入る。当然、寝付けるわけもない。でも鈴が隣りにいない所為で寝付けないなんて知られたくなくて、布団の中で固まっていると、ボロボロになった鈴が日付も変わって暫くした頃、やっと隣りに入ってきた。本当はすぐにでも抱きつきたかったけど、がっついてるみたいで(実際、がっついてるけど)恥ずかしいし、何より疲れ果ててる鈴に負担をかけたくなくて、寝ているふりを続けた。でも、少しずつ少しずつ、寝返りをするように身を寄せていって、最終的に、鈴の背中におでこをくっつける、まで辿り着いてようやく少しホッとした。

あと何日で終わるんだろう?私が寂しいから、だけじゃなくて、疲れ果ててる鈴が心配なのだ。ご飯も少ししか食べないでドリンク剤とブラックのコーヒーばかり飲んでいる。鈴は胃が強くないんだからね、自分で分かってる?

鬱々しながら、でもようやくうとうとし始めた頃に、ゴソっと鈴がこちらに寝返りをうった。そのまま鈴の胸にすっぽり包まれる。鈴も寝ぼけているのかな、そう思いながら霧のかかる意識のまま鈴の腕の中に自分から潜り込んだ。
「ごめんね、若葉」
小さな声で鈴が呟いた。急に名前を呼ばれて、眠りの国から一気に引き戻される。でも鈴は、私が目を覚ましたことに気づいてないみたいだった。独り言、かな…、私は狸寝入りのままで鈴の様子を伺った。
「締め切り済んだら、美味しいご飯食べに行って、映画も観て、ウインドウショッピングもして、散歩もして…あと、何がしたい?」
ゆっくりと私の髪を撫でながら、鈴が呟く。返事は多分、期待してない。期待してないだろうから、私は鈴に返事をしてあげることにした。
「一緒にお風呂にはいって、テレビのお笑い観て、おしゃべりしたい!」
寝てると思っていた私からの突然の反応に、鈴はびっくりしたように目を丸くした。
「…ごめんね、起こしちゃったか」
鈴が困ったように笑って謝る。謝らないでよ、本当は起きてたんだから。寝たふりしてた私の方が嘘つきなんだから。
「…、鈴、明日はコーヒー禁止ね、飲んでもいいけどミルクを入れてカフェオレにして。ただでさえ胃が弱いんだから。」
私の突然の申し出に、鈴はまた目を丸くした。それから泣きそうに微笑んで、私の耳元に囁いた。
「うん、ご飯もちゃんと食べるよ、それから、0時前には布団に入る。」
「よし。いい子。」
何様って感じだけど、私は鈴の頭を、よく出来ましたと撫でてあげる。
「ありがと。大好きだよ、若葉…」
優しく抱きしめられたから、私も鈴の背中に手を回した。久しぶりの抱擁にドキドキする。鈴の匂い、鈴の柔らかさ、鈴の体温…ダメだ、落ち着け私、治れ、私…
「若葉…」
鈴の囁く声が少し掠れて耳元をくすぐった。
「ね…、…イイ…?」
体中が、甘く、痺れた。

「おっはよー、若葉、朝だよ!!」
…やけに元気な鈴の声。まって、もうちょっと寝かせて…だって眠ったの4時だよ…?
「仕事、遅刻するよ!朝ごはんも久しぶりにちゃんと作ってあるからね、ホラ、起きて」
「…鈴、締め切りでボロボロなんじゃなかったっけ?なんでそんなに元気なの、今朝は…」
私が頑なに潜り込んでいる布団を引っ剥がして、鈴はにんまり笑った。耳元にちゅっと軽いキスが降ってきて、その位置のまま、いたずらっぽく鈴が囁いた。
「若葉成分、たっぷり補給したもん?」
「何、そのオヤジみたいなの!」
…ああ…たっぷり供給してしまった…。

そんな朝があったからって、鈴の仕事の締め切りが消滅する訳ではないのだけれど。
鈴は今夜も、リビングのテーブルでノートパソコンを開いてカタカタとキーボードを叩いている。私は呪いをかけるのをやめて、本を1冊携えて鈴の後ろに座り込んだ。ぴたっと鈴と背中を合わせて軽くもたれる。私の体温を感じて鈴が振り向いた。鈴は、何してるの、なんて訊かなかったけど。
「何の本、読んでるの、若葉?」
「……。エロ本。」
「え。」
流石の鈴も固まる。
「しっかり『供給』出来るように、勉強しておくの。」
あっけにとられてた鈴が、ツボにハマったように笑い声をあげた。
「期待してる(笑)」

鈴の仕事の締め切りは、明後日だ。




fin
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